ゲームとは補完的(相互的)、裏面的、さらに方向が予測された結果に向かう一連の交流のことである。ゲームは、しばしば終わりに向かう参加者の役割の切り替えによって表される。
各ゲームは、参加者に対して報酬(ラケット感情)が支払われる。ゲームとは反対のもの、すなわち、ゲームを終了させる方法は、参加者が報酬を受けるのを中断する方法を発見するところにあると言える。
交流分析を学ぶものは、たとえ異なった参加者が異なった役割を演じようとも、そのゲームばかりを行っている人は同じゲームを行うことを見つけている。
最初にこのようなゲームを理論づけたのは、問題に困っている参加者(白)を他の参加者(黒)が助けるという状況での「そうしたら?うん、でも」である。参加者(白)は参加者(黒)の提案の問題点を全て指摘するであろう(「うん、でも」の応答)。そしてこれは、お互いにフラストレーションが溜まり、嫌になるまで続くのである。そして、この参加者(白)が副次的に得られるものとしては、彼の問題は解決不可能であるという正当化を認めることであり、内面的変化の辛い作業を行わないことであろう。参加者(黒)にとっては、不満の溜まった殉教者のように「助けたかっただけなのに」と感じるか、さらに上を行き、軽蔑し「あの患者は非協力的だった」と感じるであろう。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
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潮干狩り
相撲
就学前教育
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信越地方
切り絵
鳥類
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盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山
ゲームの分析 [編集]
ゲームにおける一つの重要な点は、参加者の人数である。ゲームは、二人の間で手渡される(つまり、ゲームの人数は二人)、三人の間で手渡される(ゲームの人数は三人)、それ以上の人数など様々である。異なる3つの量的な変数は、ゲームを考える上でとても有効である。
柔軟性:参加者の現在のゲームを変える能力(つまり、彼らがゲームに使う道具)柔軟性のあるゲームにおいては、参加者は言葉から、お金や、体の一部に言葉を変化させる可能性がある。
粘着力:ゲームを行う参加者との粘り強さ、ゲームへの粘着力、そしてゲームを壊す抵抗力。
強度:易しいゲームはリラックスした形で行われる。難しいゲームは緊張し攻撃的な形で行われる。
受容度と潜在的な危害を受ける度合いに基づいて、ゲームは以下のように分類される。
第一度ゲーム:これは、参加者の社交のサークルの中で気軽に交流できるものである。
第二度ゲーム:これは、深刻な被害をもたらさないかもしれないが、参加者が受け入れにくいゲームである。
第三度ゲーム:これは、参加者に深刻な被害をもたらす可能性のあるゲームである。
加えて、ゲームは次のようなものに基づいて、議論される
目的
役割
社会的、心理的なパラダイム
力関係
参加者への強み(報酬)
合理的(数学的)ゲームとの対比 [編集]
交流ゲーム分析は、以下の点において、合理的または数学的なゲーム分析とは根本的に異なる。
参加者は交流分析において、必ずしも理性のある行動は行わない。しかしながら、参加者は普段より一層、現実的な人々のように振舞う。
彼らの動機・目的は隠されていることがある。
確認されているゲーム [編集]
次のものは、エリック・バーンの書籍「Games People Play」の中で発見された、最も一般的なゲームのテーマである。
YDYB: Why Don't You, Yes But.(そうしたら?うん、でも) - これは最初に発見されたゲームである。
IFWY: If It Weren't For You(もしあなたのためでなかったら)
WAHM: Why does this Always Happen to Me?(どうしていつもこうなるんだ?) - 自己成就予言
SWYMD: See What You Made Me Do(あなたのせいだよ)
UGMIT: You Got Me Into This(あなたが始めたんでしょ)
LHIT: Look How Hard I've Tried(こんなに頑張っているのに)
ITHY: I'm Only Trying to Help You(あなたを良くしたいだけなんだ)
LYAHF: Let's You and Him Fight(仲間割れ) - 三角関係
ラケット [編集]
ラケット[4]とは、「感じられた感情」を認識するものと、実際の感情を「認めない」として目を向けない2つの行動である。
これは、より専門的に説明するならば、子供の頃に培われた、多くのストレスのある環境の中で経験された、とても馴染みのある感情であり、A(Adult)としての解決策が適応できないものである。そして、「今?ここ」の状況に適して対応できるA(Adult)の感情と反応に代わって、必ず現れるのがこれらラケットとゲームである。
次にラケットとは、「今?ここ」を考えるA(Adult)の思考よりも、子供のころに形成した脚本による行動である。そしてこの行動は、ラケット感情(幼い頃に感じ慣れた感情)を体験し、現状起こっていることを内部的に正当化するために、(1)実際の問題の解決というより、脚本に行動をあわせるために環境を操作する、(2)埋め込まれているゴールは、問題を解決するためにはさほど良く働かない、といえる。
ラケットは、子供の頃に経験した感情による行動を取り、一般的に、それらは苦しいと感じているにも関わらず、意識の外で起こるものであり、また誰かのせいで発生したと思われている。そして、その報酬は、子供の頃からの脚本である「人々はいつもボクを失望させる」という証明になり続け、いっそうその考えを強くしていくのである。 つまりラケットとゲームとは、ある環境で得たラケット感情を正当化するために使われる装置であり、結果、子供の頃の脚本はより強固なものになるといえる。
ラケットとラケット感情における例:「なぜ私はいつも、ペテン師のようなひとに出会うのか」、「彼は、いつも私の行為を利用している」。
ゲームとラケットは、カープマンのドラマの三角形に従って分析されることがある。つまり、迫害者、犠牲者、救出者の役割からである。切り替えは、参加者に安定した役割が確立されている時に、突然役割の切り替えが行われるといえる。犠牲者が迫害者の役割にまわり、前の迫害者を犠牲者の役回りに追いやったり、救出者が突然迫害者になるものである。(「あなたは一度も私に感謝したことがない!」といったものである)